主に音楽の話だった

主にど素人の音楽の話です。全部の文章に(ブーメラン)か(自戒を込めて)って脳内で付け足して読んでください

聖歌隊と合唱

3年間聖歌隊にいました。

新歓の時は「そんなに忙しくないよ、楽しいよ、他のサークルと掛け持ちしてる人もいるよ」と新入生に説明していた私ですが、実際には少なくとも私は聖歌隊まみれの3年間でした。毎日のように練習か礼拝での奉仕があり、上級生になってからは礼拝や合宿担当としてどっぷり聖歌隊沼に浸かっていました。

 

そんな私が聖歌隊に入っていたことで気づいたこと、良かったなぁと思うことがいくつかあります。そんな話です。

※私は生まれついてのクリスチャンではなく、聖歌隊員もほとんどがキリスト教徒ではありません。そんな環境でのお話。

 

関連ワード:合唱、自己顕示欲、無私

 

①歌う時の気持ちのあり方

 

「奉唱の精神」という言葉があります。礼拝で歌によって奉仕することを奉唱といいます。礼拝に音楽を用いる理由は時代によっても教会によっても違うと思いますが、自分たち聖歌隊やオルガンに必要とされたのは、

1. 空間を音楽によって聖化すること

2. 会衆(礼拝に参加している人)の賛美歌・聖歌を一緒に歌って支えること

3. 神様の栄光をあらわし、讃えること

4. 会衆が自然に祈りに入っていけるようにすること

……などなどです。要するに、神や会衆のために音楽を提供することです。もちろんそこで「自分が歌っていて楽しい」のであれば歌っている本人にとっては幸いですが、それは必ずしも必要ありません。むしろ、自分が楽しいように我を忘れて自分勝手に歌ってしまえば、聖歌隊としての役割を果たすことはおろか、祈っている方々の邪魔になります。

私は「自分が歌っていて楽しい」から聖歌隊に入りました。最後まで「自分が歌っていて楽しい」から聖歌隊に居ました。でもその気持ちのあり方は少しずつ変わっていった気がします。自分のために歌うのではなくて、神様やほかの人のために歌うことの意味が分かってきました。

 

礼拝でよく用いられる祈りには、自分たちを神様の必要に応じて用いてくださいというような祈りがあります。また、聖書の中には(細かい文言はうろおぼえですが)それぞれ与えられた特技(賜物)を活かして奉仕に励みなさいという箇所があります。

私は小さい頃から歌を続けてきて、他に得意なこともありませんから私に与えられた「賜物」というのは歌のこと以外に何も無いと思ってきました。そして歌によって奉仕することは、神様の道具として用いられることだと考えてきました。会衆の方が、辛いことがあった時に聖歌隊の歌声で慰められたと語ってくださった時に、これこそが神様の働きを歌によってあらわすことだと実感したからです。

 

奉唱する時、奉唱の精神を理解して歌っている時、私たちと私たちの声は神様の道具です。「私欲」や「自己顕示欲」は消えていきます。

目立ちたいとか、かっこよく見られたいとか、そういう欲望はなくなり、純粋に美しい音楽やハーモニーを求めます。道具としての自分がどう必要とされているのか、どこでどのように自分の「賜物」を発揮し、他のメンバーの「賜物」と調和してより美しいものを作れるか、それは精神論でありながら同時に実際の音楽の作り方と同じだと思います。

 

 

②楽器としての声

 

聖歌隊において私たちや私たちの声が神様の道具であるというお話にイメージ的には似ていますが、もうちょっと実際の曲や音楽の話をします。

 

所属していた聖歌隊ではかなり幅広い曲を扱っていました。グレゴリオ聖歌から新しい教会音楽まで、ヨーロッパの作品が多かったですが日本人の作曲家の作品もあり、穏やかな曲から黒人霊歌のようなソウルフルなものまで、バリエーションに富んでいました。

特に私が心惹かれたのはルネサンス期の声楽曲で、例えばパレストリーナやバードのミサ曲です。ポリフォニーの声楽曲に出会えたことは何よりも素晴らしいことでした。

 

パレストリーナ教皇マルチェルスのミサ曲」


Palestrina, Missa Papae Marcelli. The Tallis Scholars, Peter Phillips

 

ポリフォニーの音楽は、ホモフォニーとは各声部の役割が違います。ホモフォニーは主にソプラノ(あるいはテノール)が主旋律で、他のパートはそれに付随して和音を付けるようなもので、縦の線(わかりやすく言えば歌詞のタイミング)がそろっています。簡単に言えば、主旋律を歌っているパート以外は伴奏なのです。日本で「合唱曲」というと、比較的ホモフォニーの曲のイメージが強いような気がします。

それに対してポリフォニーの曲は、各声部が独立して動きます。それぞれのパートが提示された旋律を次々に模倣しながら現れ、重なり合ったところで美しい和音が組み上がっていきます。確かに最初に旋律を提示するパートは大事かもしれませんが、それぞれのパートが旋律を持ち、独立して動くので、全てのパートが主役級です。

ホモフォニーのようにどこのパートが主旋律で、他が伴奏ということはなく、ポリフォニーは全てのパートが概して平等に旋律を持ち、同時に和音を作る構成要素です。このような点において、ポリフォニー声楽曲の各声部は声でありながら純粋にハーモニーを作るための楽器のようだと思います。

 

私はソプラノなので、どの合唱曲でもほとんど主旋律です。他のパートからすればソプラノは目立てるパートだし、一番美しいはずの主旋律を気持ちよく歌うことが出来るパートだし、そのため音も簡単で羨ましいパートかもしれません。だからこそ、私にはポリフォニー音楽との出会いが必要でした。

各声部が主役級のポリフォニーのおかげで気付けたことは、しかし音楽全体に言えることですが、それぞれが自分のパートをしっかり守りながら周りと調和する、そのために自分の役割を常に見極めて自覚することが大切なのではないかと。

 

己の欲によってではなく、全体の和音や音楽の流れから自分のパートと自分自身の役割を把握し、わきまえ、こなしていく。

そうしてより高次元の音楽に到達することで、合唱や合奏の真の楽しみが現れてくるような気がします。